皇族家 一覧貴人の黄昏― 旧皇族家の人々 ―

宮家一覧

明治時代初期から、1947年10月の11宮家51皇族の「皇籍離脱」までの間に存在した宮家の一覧。

  • 黒線は宮家の創設と継承を示す。下の宮家は上の宮家の分家または養子によって継がれた家。
  • 赤線は婚姻を示し 実家―>―婚家 の関係になる。
  • 直宮家は大正天皇の男子が創設した秩父、高松、三笠の三宮家を指す。
  • 桂宮家は明治時代(1881年)に断絶している。
                  ┌──────┐
                  │  天 皇 家  ├────────────>┐
┌─────┐    │            │                          
│ 桂    宮 │    │  直 宮 家  ├<────────┐      │
└─────┘    └──────┘                  ∧      │
┌─────┐A   ┌──────┐H                 │      │有栖川宮 ├─>┤  伏 見 宮  ├──────>┐  │      │
└─────┘    └─┬──┬─┘              │  │      │
┌─────┐       6│    │                  │  │      │閑 院 宮 ├────┘    │                  │  │      │
└─────┘              │                  │  │      │
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 23135│      │ 18│  │      │10│    │   7│      │  │          │  │  │      │
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│  ││  ││││  ││  │
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                  14  │  │  12│  │1516
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                    ∧  │ 4911∧    ∧    │
                    │  │  └─┴─┬───┘  │    │    │
                    │  │    ┌──┴──┐    │    │    │
                    │  │梨本宮│    │    │
                    │  │    └─────┘       I│    │
                   B C                     D   E│    ∨
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宮家の創設と継承は以下のとおりです。

#日付宮 家創設者/継承者、断絶時当主
創設/継承/断絶宮家親、続柄名 前
11864山階宮創設伏見宮邦家親王 1王子晃 親王
21867小松宮創設伏見宮邦家親王 8王子彰仁 親王
31868華頂宮創設伏見宮邦家親王12王子博経 親王
41868梨本宮創設伏見宮貞敬親王  9王子守脩 親王
51868北白川宮創設(聖護院宮を継承後、改称)伏見宮邦家親王13王子智成 親王
61872閑院宮6代を継承伏見宮邦家親王16王子載仁 親王
71872北白川宮2代を継承伏見宮邦家親王 9王子能久 親王
81875久邇宮創設伏見宮邦家親王 4王子朝彦 親王
91881梨本宮2代を継承、後に山階宮に復籍山階宮晃親王 1王子菊麿 王
101883華頂宮3代を継承、後に伏見宮に復籍伏見宮貞愛親王 1王子博恭 王
111885梨本宮3代を継承久邇宮朝彦親王 4王子守正 王
 1889/ 2/11皇室典範
121900/ 5/ 8賀陽宮創設久邇宮朝彦親王 2王子邦憲 王
131903/ 1/31東伏見宮創設伏見宮邦家親王17王子依仁 親王
141906/ 3/31竹田宮創設北白川宮能久親王 1王子恒久 王
15朝香宮創設久邇宮朝彦親王 8王子鳩彦 王
161906/11/ 3東久邇宮創設久邇宮朝彦親王 9王子稔彦 王
 1907/ 2/11皇室典範増補
 1913/ 7/ 6高松宮創設天皇家大正天皇 3王子宣仁 親王
 1914/ 6/26小松宮断絶(妃死去時)
当主死去:1903/ 2/26
伏見宮邦家親王 8王子彰仁 親王
 1920/ 5/19皇族ノ降下ニ関スル施行準則
 1922/ 6/25秩父宮創設天皇家大正天皇 2王子雍仁 親王
 1924/ 3/24華頂宮断絶(当主死去時)華頂宮博恭王 2王子博忠 王
 1924/ 7/19有栖川宮断絶(妃薨去一年祭時)
当主死去:1913/ 7/ 5
有栖川宮幟仁親王 4王子威仁 親王
 1935/12/ 2三笠宮創設天皇家大正天皇 4王子崇仁 親王
#日付実家婚家
親/続柄
A1876有栖川宮幟仁親王 4王女利子女王伏見宮貞愛親王
B1908/ 4/30天皇家明治天皇 6皇女昌子内親王竹田宮恒久
C1909/ 4/29天皇家明治天皇 7皇女房子内親王北白川宮成久
D1910/ 5/ 6天皇家明治天皇 8皇女允子内親王朝香宮鳩彦
E1915/ 5/18天皇家明治天皇 9皇女聡子内親王東久邇宮稔彦
F1922/ 7/19賀陽宮邦憲王 2王女佐紀子女王山階宮武彦
G1924/ 1/26久邇宮邦彦王 1王女良子女王天皇家裕仁親王
H1925/ 1/26伏見宮博恭王 3王女知子女王久邇宮朝融
I1943/10/13天皇家昭和天皇 1皇女成子内親王東久邇宮盛厚

明治初期の「太政官布告」では、世襲親王家以外の親王家(賀陽=久邇、山階、聖護院=北白川、仁和寺=小松、華頂、梶井=梨本)は一代宮家となっており、二代目からは姓を賜って華族になるとされていたが、特旨により相続が許される例があった。

縁組日実家養家備考
養父
1869/ 4/ 5伏見宮依仁親王(定麿)山階宮晃 親王養子
1872/ 5/ 1伏見宮能久親王(満宮)北白川宮 先代(弟)の遺言により入籍
1874/ 4/12山階宮菊麿梨本宮守脩 親王山階宮の実子であるが養子に
1883/ 4/23伏見宮博恭王 (愛賢)華頂宮 特旨により華頂宮を相続
1885/12/ 2梨本宮菊麿山階宮晃 親王実家に復籍(晃親王は実父)
山階宮依仁親王(定麿)小松宮彰仁 親王再養子
久邇宮守正王 (多田)梨本宮 先代(菊麿)実家復籍に伴い入籍
1889/ 2/11皇室典範
1903/ 1/31小松宮依仁親王  後継停止後、東伏見宮を創設
1904/ 1/16華頂宮博恭  実家後継者の病により伏見宮に復籍
  • 華頂宮・博厚は父王死去に先立ち、有栖川宮・熾仁親王の請願により皇族に列した。(1876/ 4/21
  • 梨本宮菊麿は久邇宮・朝彦親王などの請願により諸王に列した。(1881/10/20

1889年2月11日に制定された「皇室典範」から永世皇族制が採用され、皇族の男系子孫は世代にかかわりなく皇族であり続けるとされた。
また、皇子から皇玄孫までが親王、それより後は王とされ、親王宣下の制度が廃止された。その結果、世襲親王家は他宮家と同格になった。ただし皇室典範施行までに親王宣下を受けていた者については、特例として引続き親王を名乗ることが許された。
さらに、皇族の養子が禁止されたため、後に、小松宮、有栖川宮、華頂宮の各宮家が後継者を得られず断絶することとなった。

皇室典範の制定後、皇族の人数が増え財政上の負担が大きくなり宮家の新設が困難になったが、宮家の相続、継承上の問題を理由として賀陽宮と東伏見宮が創設され、明治天皇の皇女の嫁先として朝香宮、竹田宮、東久邇宮が創設されている。(12~16)

  • 賀陽宮は、本来久邇宮の継嗣であるはずの邦憲王が病弱であったため、家督を弟邦彦王に譲り京都に宮家を設立することを天皇に請願し勅許を得て創設された。
  • 東伏見宮は、小松宮・彰仁親王が継嗣依仁親王(実弟)の家督相続を望まなかったため、継嗣停止の後、依仁親王が天皇から東伏見宮の宮号を賜って創設された。(小松宮を参照)

1907年2月11日の「皇室典範増補」で、「王は勅旨または情願により、家名を賜って華族になることができる」とする臣籍降下制度が設けられ、永世皇族制は放棄された。そして、1920年5月19日の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」で、継嗣以外の王子は原則として臣籍降下することになり、新宮家の創設がなくなった。

皇族の人数

皇族の子女として生まれた人、または皇族の妃となった人の数
223人(44+41+95-40+92-9)
上記のうち夭折者を除く人数
181人(223-42)
上記のうち皇族に止まった人数(臣籍降下、華族への降嫁、出家を減じた人数)
120人(181-16-39-6)
当主親王
男子女子夭折
病死
臣籍
降下
華族
降嫁
出家残留
出生相続
分家
出生皇族
降嫁
天皇家明治天皇115-110-4100000 
大正天皇114-40000000 
昭和天皇11205-110005今上、常陸宮、和子、厚子、貴子
秩父宮11000000000 
高松宮11000000000 
三笠宮11101000002甯子、寛仁
伏見宮邦家1117-10150111550 
貞教12000000000 
貞愛113-11010101邦芳
博恭114-23-102200 
博義111-13010002光子、章子
博明10000000000 
有栖川宮幟仁114-24-130200 
熾仁12000000000 
威仁11102010101栽仁
閑院宮載仁112-15030300 
春仁11000000000 
山階宮101-10000000 
菊麿125-11004100 
武彦11000000000 
小松宮彰仁11000000000 
華頂宮博経111-10000000 
博厚10000000000 
博忠10000000000 
梨本宮守脩10000000000 
守正11002000200 
北白川宮智成10000000000 
能久126-25023400 
成久111-13000300 
永久111-11000001肇子
道久10000000000 
久邇宮朝彦109-69050610 
邦彦113-13-102200 
朝融11305000107邦昭、朝建、朝宏、朝子、通子、英子、典子
多嘉11303032100 
賀陽宮邦憲111-12-100100 
恒憲11601000106邦寿、治憲、章憲、文憲、宗憲、健憲
東伏見宮依仁12000000000 
竹田宮恒久111-11000100 
恒徳11202000004恒正、恒治、素子、紀子
朝香宮鳩彦112-12001200 
孚彦11102000003誠彦、冨久子、美仍子
東久邇宮稔彦114-10011001俊彦
盛厚11101000002信彦、文子
合計444195-4092-9421639635 
  • 桂宮淑子内親王は除く。
  • 計算の便宜上、[当主]に博義王、多嘉王、孚彦王、盛厚王を含めている。また、[臣籍降下]に二荒伯爵、上野伯爵を含めている。
  • [相続分家]は当主となった男子の人数。[皇族降嫁]は皇族に嫁した女子の人数。(重複カウント防止用)
  • [残留]は未婚者。
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